<?xml version="1.0" encoding="utf-8" standalone="yes"?><rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"><channel><title>Psycology on gomlog</title><link>https://gomlog.com/tags/psycology/</link><description>Recent content in Psycology on gomlog</description><generator>Hugo -- gohugo.io</generator><language>ja</language><lastBuildDate>Fri, 26 Jun 2009 00:00:00 +0000</lastBuildDate><atom:link href="https://gomlog.com/tags/psycology/index.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title>信用と不信とギャンブルと</title><link>https://gomlog.com/20090626_distrust/</link><pubDate>Fri, 26 Jun 2009 00:00:00 +0000</pubDate><guid>https://gomlog.com/20090626_distrust/</guid><description>なんかふと思ったこと。とりとめなどない。 人を信じるっていうのは結構大きい賭けだなーといつも思っている。
不信は不信を呼ぶ不信スパイラル。 正直者はバカを見るけれど、誰かが信用するというブレーキをかけないと、崩壊するまで止まらない。
信用するっていうエネルギーは大きい。裏切られたときのダメージに備えるためのコストだってかかる。 それでも不信スパイラルの中で腹の探り合いにエネルギー使うよりは、信用して前に進むためのエネルギーにしたい。
顔と顔を合わせていると、表情や仕草なんていう色々な情報があるから、信用できるかどうかは少しだけわかりやすくなる。
でも例えば、ネットを介してコミュニケーションを取る場合はどうだろう？ モニタの向こうにいる「私」を信用してもらう為には、果たしてどんなことができるだろうか？</description></item></channel></rss>