誰もが人ごとではない:介護のこと

20年間 親の介護してるけど何か質問ある? 働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww

ほとんど誰にも頼らず20年間も介護を続けてきたことに、本当に敬服する。 自分がいかに甘ったれてたかを思い知ったわ。

最近自分の身辺やご近所でも、「認知症で・・・」という話が増えてきた。 テレビなどでちょくちょく特集なんかもやっているようだ。 誰もが人ごとではなく、遠くない未来に我が身に降り掛かってくると思っておいた方がいいと思う。

まず、昨今の人口減少からもわかる通り、一人っ子や兄弟が少ない人が増えている。 たとえば5人兄弟の家庭なんてかなり少なくなっているはずだ。 昔からの風習からか、「親の面倒を人に見させたくない」「自分の面倒は子供に見て欲しい」という人も多い。 そうなれば、親に介護が必要になった時に、介護をする確率は高くなる。

介護施設も増えてきているため、自分で介護をしなくても施設に預ければ良いという考えもある。 人生のどの時期で「介護」が発生するか、親がどのくらいの資金を持っているかで対処の仕方も変わるが、 20代までに発生し親が十分な資金を蓄えていなかったとしたら、「自宅でなんとか面倒を見る」以外に何もできない。 30代以降で収入が安定していれば、介護のためのお金も捻出できるかもしれない。 でも子供を持っていたりしたら、中々捻出しづらいだろう。

また、介護施設の収容力にも限界がある。入れない時は待たなくてはいけないが、その間は少なくとも自分たちの誰かが介護をすることになる。 最近急激に増加しているとはいえ、確実に預けられるわけではない。

以上の理由で、介護の当事者となることが増えると思っている。 高齢化社会の何が問題って、「介護のためにほとんど働けない」層が増えてしまうこと。 その状態から脱するためには、施設等に預けるなどして四六時中介護の状態をなくすしかない。 しかし、そのためには多額の費用がかかる。働ける時間が少ないのだから、費用を貯めるだけの余剰は発生しない。 まさに自転車操業。

働く時間が減れば、国全体の生産量も落ち込む。 そうすると景気が悪くなり・・・ダメスパイラル。

こうも出口が見えないと、「なら安楽死させればOK」という意見も出てくるだろう。 安楽死を認めることで確かに上記の問題は解決できる。 ただ、「必死で生きた先に安楽死が待っている」という絶望感から無気力に陥る人が増える危険もはらんでいる。 なんだか別の問題が発生しそうな匂いがするが・・・

一人で全部背負うのは重すぎるので、税金払ってる権利を最大限活かしてみよう。 障害年金や介護保険等の福祉制度があるので、経済的に少し楽になったり、ケアマネージャーへの相談ができたりといった恩恵は大きい。使わないという選択はありえない。 自分のケースだとどんな福祉制度が適用されうるのか?ということをよくよく調べるのが良いと思う。

ただ、何もわからず役所に相談に行っても、担当者次第では全然情報をくれないこともある。 そんな時はネットや人に聞くなどして、「こういう制度があるらしいが、○○の場合は適用できないか?」とか聞いてみると、結構答えてくれるかも。 ※親身に相談に乗ってくれて、こんな補助もある、あんな制度もあると教えてくれる素敵な方ももちろんたくさんいます。

まあ、どう調べたって結局は役所の人の方が詳しいので、うまく協力してもらえる方法を取ることでお互いに楽できるのではないかと。

どうすれば、きびしい介護生活を幸せに過ごせるのか? 「行政側でできる限り安価で充実したバックアップ体制を築く」 としか言いようが無い。行政頼りなのが誠に残念だ。

現時点だと、 「行政の福祉制度をうまく利用して、介護者の負担を減らす。」 「その上で、介護者と被介護者の希望を一定以上実現できる」 というのがベストであると思う。行政の福祉制度がないと介護者の負担がかなり大きい。

なお、被介護者の希望を考慮しないなら、「お金をかけてできるだけ介護の手厚い施設に預ける」ことで介護者の負担は解決する。

将来安楽死させられたり、子供を困らせたくない人なら 「稼げるうちに稼ぎまくって、自分の介護費用を子供に託す」 のが、2,30代のうちにできる最良の選択かもしれない。

お金持ちすぎて不幸になった人も最近いたけど、あった方が幸せな時間も増えると思う。

さて、「生きててなにが楽しいの?」「生きてる意味あるの?」といった意見もリンク先およびそのコメント欄で散見される。 誰か「自分の生きてる意味」を知る方法を教えてください。僕にはわかりません。

いたずらに応答者を貶める意図しか見えない、全く意味のない問いだなと思う。 自分も意識せずにこういう問いを発している時があるので、自戒の念を込めて書いておく。