群衆の叡智サミット2008に行ってきました

「みんなの言ってることは、案外正しい」 専門家ではない人達でも、意見を集めると実は正しいことを指しているんじゃないか?ということだそうだ。

そんな群衆の叡智についての討論に参加してきました。 サミットの様子については、以下の記事に詳しくレポートされています。

レポート:群衆の叡智サミット2008 Spring 開催|gihyo.jp … 技術評論社

はっきり言って、自分はよくわからないまま参加していたのだが・・・ それでも考えることは多かった。以下、感じたことを書いてみる。 よくまとまっていませんがご容赦を。

なぜ群衆の叡智?

それにしても、なぜ今群衆の叡智というテーマが注目されているのか? 世界の仕組みの多くは群衆の叡智からできあがっている。民主主義という体制そのものがその証拠と言えるだろう。 それだけ昔から存在するものであり、取り立てて新しい概念ではない。 しかし、ネットの出現と普及によって「群衆」の意見が聞きやすくなったのが最大の理由だと、自分は思っている。 ホームページやブログなどによって個人がメディアとして機能し、個人の意見を集めるシステムも低コストで実現できるようになっている。 専門家に聞くより、知識がなくても多くの人の意見を集約した結果が正しい方向を示すのではないか? その期待が高まってきているのだという感じがした。

データとして信頼できるのか?

サミットでも話題になっていたことで、最も気になったこと。 gihyo.jpの記事から引用すると・・・

予測市場に関して,はてな伊藤氏から「オリコンやGoogleのようなユーザを説得する材料がない場合,どのような理由付けが可能なのか?」という質問が上がり

この部分。「みんなこう言ってるよ!」と言われたところで、はっきり言って「当てにならないな」というのが正直な気持ち。(日本人は比較的流されやすいですが・・・) その気持ちに対して、どのようにして理由・動機をつけていくのか?そのためにどんな仕組みが必要なのか? はてなブックマークの開発者としてはホットな関心事なんですね。

群衆が予測した結果というのは、データとしてどこまで信頼できるか?その根拠はどこにあるのか?この問いを明らかにしていくことが、群衆が予測した結果を使うことに繋がっていくのではないか。

回答はない、ヒントになるだけ

「群衆の叡智は魔法の水晶ではない」という意見もあった。明確な回答を示してくれるわけではないという。 自分も同じ意見を持っていて、みんなが示すものは正しくもなければ納得を生まないことだって多い。 あくまで一つの意見として捉えるべきだ。

ただ、全体として、群衆の出した意見がどのくらいの確率で正しいと言えるのか?それを知りたがっているような感じがした。 でも、一つの意見として捉えると仮定すると、その意見が正しい確率を求めることに意義があるのだろうか? ある専門家が出した意見が正しいと言える確率を求めることができるだろうか?

でも、可能性は多い

とは言ったものの、群衆の意見がどれだけ確からしさを持っているか。これは非常に気になる。

ある専門家がどんな知識や経験に基づいてその答えを導いているかは説明ができる。しかし、群衆の場合はその根拠が説明できない。 そこに2者の大きな差と、今後の研究の余地と可能性を秘めているように思える。

小ネタ

  • MSの人だけMac使ってた
  • 国のプロジェクトは全部成功している
  • アイスやドーナツもっさり
  • 会場内での利用者数 mixi>=はてな>はてブ>>Twitter